いきなりですが、私は携帯電話をうまく使いこなすことができません。フルに使っている機能といえば、通話くらいでしょうか。カメラ、ウェブ、メールの機能は、購入以来ノータッチ。アドレス帳の機能すら覚えるのが面倒で、電話をかけるたびごとに手帳(実物)を繰って番号を確かめる体たらく。おまけに、しばしばスライド式携帯のスライドを閉じるのを忘れ、キーロックもかけずにポケットに入れて持ち歩くものだから、知らないうちに方々に無言電話をかけてしまうはめに。ワンセグ?それは、いったいナンですか?状態。詳しい人から見れば、サル並みのレベルといえましょう。
酒のコラムで、なぜこんな話を延々としているかと言えば、ケータイの世界と同じくらい日本酒の世界も変化している、と言いたかったから。そのわかりやすい例が、生酒でしょう。
思い起こせば、生の酒のおいしさに開眼したのは、某酒蔵を見学で訪れた20歳の頃。槽口の酒を初めて口にして、その麹の香りの華やかさ、えもいわれぬみずみずしさ、甘やかな味わいに感激したものでした。当時は、今ほど冷蔵での流通が発達していなかったこともあって、“生”として売られている市販酒は、ほとんどなかったように記憶しています。
そもそも “生酒=本生”はといえば、酒づくりで定石とされる2度の火入れ工程を省いたもの。つまり、搾ったままの状態で瓶詰め、出荷される酒の呼称でありますが、昭和50年代後半になって、火入れの回数を1度に減らしてフレッシュな生の風味を訴求した“生貯(生貯蔵酒)”、“生詰”などの商品が市場に登場します。いずれも、ひとくくりに「生酒」として扱われがちですが、本来は“半生”と呼ぶのが正しいところ。とはいえ、こうした商品が生まれた背景には、「生のおいしさを多くの人に届けたい」という蔵元の切なる願いがあったわけで、細かいことをつつくのはヤボというべきかもしれません。
今では、正真正銘の本生も難なく買えるようになり、“生囲い”“生しぼり”などという魅惑的な文字が肩ラベルに躍る商品も増えてきました。しかし、こっそり白状すれば、最近の自分は、どちらかと言えば生よりも火入れ党。まして豊満なボリュームの無濾過生やその原酒では、最初の1杯はいいとしても、それ以上となると、いささか飲み疲れを覚えがち。そこへいくと、生と火入れのいいとこどりともいえる“生貯”や“生詰”には、半生ならではの穏やかさや、ほどよい落ち着きがあり、より好みに近い感じがします。
ちなみに、同じ“生”の字が入っていても、“生一本(きいっぽん)”とあるのは、別物ですから、ご注意を。いろいろ種類がありすぎて、わかりにくい?まったくです。まあ、私に言わせれば、ケータイほどではないですが…。




