dancyu×日本酒.com

(本文ここから)

”マツザキ的”日本酒つれづれ用語帳 日本酒大辞典

【第11回】監修:松崎晴雄 文:堀越典子「エルニーニョな夏」 ※本文中の赤字の用語にロールオーバーすると解説が表示されます。

 記録的な豪雨に竜巻、立秋になっても明けない長梅雨と、異常気象が続く2009年ニッポンの夏。なんでも、1993年とよく似たエルニーニョ現象の仕業らしいということで、日本酒飲みとしては、まず米の作況が気になるところ。なにせ、93年といえば、冷夏による凶作で深刻なコメ不足に見舞われた年。タイ米の緊急輸入問題に揺れた「平成の米騒動」を覚えている人も多いと思いますが、酒造メーカー各社でも、配分されるはずの酒造好適米が入手困難になるなど、原料の調達に大変な苦労があったと聞いています。奇しくも、その前年には特定名称酒の品質表示基準が定められ、80年代前後から始まった吟醸酒ブームを受けて、原料米やその銘柄に対する関心が高まっていた折でもありました。
 当時、酒造米の中でも最もホットな注目を集めていたのは、なんといっても亀の尾でしょう。尾瀬あきら先生の漫画『夏子の酒』に登場する幻の酒米“龍錦”のモデル品種として、あまりにも有名ですが、連載に先立つ1983年、新潟の久須美酒造から亀の尾を復活させて醸造した吟醸酒「亀の翁」が製造・販売されたときの興奮は、今も鮮明に覚えています。

社会人になって1年目、今で言う地酒マニアの一人にすぎなかった頃、『地酒ファン』という、これまたマニアックなタイトルの雑誌(5~6号で廃刊?)で発売を知り、さっそく手に入れたのが年の暮れ。正月用の酒として、復活のロマンに胸をときめかせながら、ちびちびと大事に味わったものでした。越後酒特有の淡麗さに加え、可憐な表情を備えた風味は、今でも強く印象に残っています。
亀の尾という米は、神力などとも共通する昔の米ならではの野趣、よくも悪くも渋味や酸味の振幅があり、山田錦や五百万石といったメジャーどころの新しい米と比べると、全体のバランスに欠けるところがあるかもしれません。その一方で、食中酒としての面白味があり、料理との相性で意外な包容力を発揮することがあります。
 そこへいくと、やはり単米酒(単一の種類の酒米で造る酒)のブランドとしておなじみの美山錦八反錦などは線が細く、時として固くて浅い印象を受けることもありますが、さらりとした飲みやすさが身上。愛山は対照的に、ぽってりと重く、濃艶な甘みを感じることが多いでしょうか。いずれも、きれいに決まったときは、それぞれに特徴的な魅力をたっぷりふりまいてくれます。
 こんな贅沢な飲み比べも、豊穣の恵みがあってこそ。地球の裏側で坊や(エル・ニーニョ)のご機嫌が直ることを祈るばかりです。


(本文ここまで)


特定名称酒

清酒の製法品質表示基準により、所定の条件を満たしている吟醸酒、純米酒、本醸造酒の総称。原料や精米歩合、製造方法などの違いによって、「純米大吟醸酒」「大吟醸酒」「純米吟醸酒」「吟醸酒」「特別純米酒」「純米酒」「特別本醸造酒」「本醸造酒」の8種類に細分化される。平成4年に全廃された級別制度に代わる制度として、平成2年から施行がスタート。平成15年の一部改正により、純米酒の製法品質の要件から「精米歩合70%以下」が撤廃されたり、全特定名称酒の要件に「麹米の使用割合15%以上」が義務づけられるなど、商品の多様化に合わせた見直しが行われている。

亀の尾

明治時代、山形県庄内地方の篤農家、阿部亀治により発見・育成された米の品種。明治26年、近くにある神社に参詣した帰途に、周辺に広がる水田に植えられていた在来品種「冷立稲」の中に、冷害に耐えて生育していた丈夫な3本の穂を見出し、持ち帰ったのが発端とされている。譲ってもらった穂は、3年間の試行錯誤の後、明治30年に初収穫に成功。発見者の名前の一字を取って「亀の尾」と命名された。
大正時代にかけて作付面積は飛躍的に伸び、酒造米および飯米の主要品種に数えられるまで普及する。交配種としても盛んに利用され、酒造米では五百万石、たかね錦、若水などの、食用米ではコシヒカリ、ササニシキ、ひとめぼれ、あきたこまちなどの優れた子孫品種を生み出した。一方で、害虫に弱く、多肥料栽培下では米がもろくなるなどの性質が災いし、昭和以降は栽培が衰退したが、昭和58年に新潟の久須美酒造が亀の尾栽培を復活させ、これを原料米に使った『亀の翁』を製造。その経緯は漫画『夏子の酒』や、これを原作としたテレビドラマで広く知られるところとなり、復活の気運を盛り上げるきっかけとなった。

神力

兵庫県揖保郡出身の農業家、丸尾重次郎が在来品種「程吉(ほどよし)」から選抜した酒造好適米品種。明治10年、自分の田圃に目立って穂の重い稲が育っているのを見つけ、3本の穂を籾種にして改良を重ねながら、大粒で収量の多い品種に育成したのが、事のはじまり。米質がよく、もろみが溶けやすい特質があることから酒造好適米としても珍重され、明治から戦前にかけて西日本一帯で広く栽培されていた。往時は「亀の尾」「愛国」とともに「日本三大品種」のひとつに数えられていたほど。その後、新品種の登場とともに姿を消していたが、熊本の酒販店、農家、酒造メーカーを含む有志の取り組みにより、1997年に「熊本神力」を原料米とする清酒の生産が再開。「幻の酒米」が半世紀ぶりに復活したとして、注目を集めた。

美山錦

昭和53年に長野県農事試験場で開発された酒造好適米品種。当初は在来品種「たかね錦」の大粒化と心白発現率のアップを目指して研究開発が進められていたが、照射処理を行っている過程で、突然変異で生まれてしまったという変わりダネ。「美山錦」のネーミングは、故郷の信州・アルプスの山頂の雪を心白の白さになぞらえたもの。耐冷性に比較的強い特徴があり、長野県を中心に秋田、福島、茨城、栃木などの地域でも多く栽培されている。

八反錦

広島県生まれの酒造好適米品種。ルーツは明治8年に開発された早生品種の「八反草」で、地元の民間育種家、大多和柳祐の育成によるもの。八反草は草丈が高く倒れやすいこと、小粒で心白発現率(心白を有する米の割合)が低いことから改良が加えられ、大正10年の「八反10号」、昭和35年の「八反35号」、40年の「八反40号」などの子孫品種が誕生する。八反錦は昭和59年に品種登録された改良品種で、八反35号とアキツホの交配種。正式には「八反錦1号」と、より高地栽培に向く「八反錦2号」に分類される。大粒で心白発現率も高く、精米耐性や吸水性に優れる特質を備える。

愛山

早生神力と備前雄町をルーツにもつ「愛船117」を父に、山田錦と雄町の交配種「山雄67」を母にもつ酒造好適米品種。両方から1字ずつ取って「愛山」と命名された。
昭和16年、県立明石農業改良実験所で開発がスタートし、品種登録されたのは戦後の昭和24年。玄米の粒の大きさや、心白を有する米の割合では山田錦をしのぐといわれるが、兵庫県吉川町の大手酒造メーカーとその契約農家の間で半ば独占的に栽培され、門外不出の米と目される時代が長く続いていた。しかし、阪神大震災を契機に、独占状態が緩和されることに。さらに平成15年には、高木酒造、久慈酒造、磯自慢酒造など11の蔵元の若い後継者が集まって「酒道の会」を結成し、愛山を用いた高精白の吟醸酒造りに着手。「十四代・播州愛山」をはじめとする佳酒が次々と誕生するのと並行して、愛山を使用しての酒造りにチャレンジする蔵が増えていった。
もともと栽培が難しく収量の少ない“農家泣かせ”の米として知られているが、今でも限られた生産量の希少品種であることに変わりはなく、山田錦以上の高値で取引されることもある。